2016年10月25日火曜日

Red & Artoria Gibbons



久しぶりの伝説的アーティストのご紹介。

今回はレッド・ギボンズです。

Red Gibbons(1879-1964)

彼の生い立ちや自身の写真などはほとんどありませんが、

妻のアルトリアについては多くの詳細や写真が残ってます。

Artoria Gibbons(1893-1985)

二人はワシントンで出会い1912年に結婚し、

カリフォルニアに移住します。

その後、もっと稼ぐにはどうしたらいいか二人で考え、

アルトリアをサーカスのパフォーマーにするために

全身にタトゥーを彫り始めます。

そして1920年代にはタトゥーレディーとして1番人気に!


彼女は敬虔なキリスト教徒でしたので

数多くの宗教的デザインが彫られています。

当時としてはとても繊細で芸術的なタッチで

描いていたのでアルトリアの人気とともに

レッドの評価も上がっていったそうです。

 Tattoo by Red Gibbons

 しかしレッドは1940年に強盗に襲われ、

さらにそのあと事故にも合い、

1946年、それが原因で失明してしまいます。

アルトリアは仕事を辞め、

失意のどん底にいた彼の介護に専念します。

そして1964年、レッドは亡くなりますが、

彼が亡くなった後もタトゥーレディとして

1981年まで活躍し続けます!

 (晩年のアルトリア)
 
彼女の全身のタトゥーは一緒に力を合わせて

生きてきた二人の愛の証。

凛とした雰囲気の中に

力強さと愛が満ちあふれてます!







2016年7月11日月曜日

Creed


何度かこのブログで紹介してきた

レイの敬愛する彫師、


ストーニー(1912-1980)

好きすぎて

以前オリジナルで

Tシャツまで作りました。


このバックにプリントされてる文章は

当時のお店に貼ってあった

彼の信条です。


"わたくし、

レオナルド”ストーニー”セントクレアは

ご自身の肉体に

なにがしの装飾を施すことを選ばれた

希少な顧客様のための仕事を

生業としております。”


と書かれています。

謙虚かつ誠実さが伝わる

簡潔な文章。


ストーニーは4歳で間接リウマチなり、

生涯車いすの生活を送りました。

下半身だけでなく手の指も不自由だったそうです。

その人生の中で

彼は人に敬意をもって接すれば、

自分も同じように接してもらえる事を

学びます。

多くの苦しみや困難を乗り越えて来た彼のお店は

当時、ピリピリとした怖い雰囲気のお店ばかりのだったのに対し

誰かの家に来たような

冗談が飛び交う雰囲気だったそうです。

そして彼の笑顔は力強さと深い愛情に満ちあふれていました!





2016年6月14日火曜日

Gus Wagner


今回ご紹介するのは

前回紹介したSamuel O'Reilly

並ぶアメリカでもっとも古い彫師の1人、

 ガス・ワグナーです!

Gus Wagner(1872-1941)

1897年からの4年間、

彼は貨物船の船員として働きます。

その間世界各地を周り、

ボルネオで伝統的な手彫りを

習ったのがルーツだそうです。

1901年までには既に

246個のタトゥーを入れていたそう。

そしてアメリカに戻って旅する彫師、

サーカスのパフォーマーとして

活躍します!

1904年、結婚。

彼女もGusに教えてもらい、

アメリカでは初の

女性彫師として知られています。

Maud Wagner(1877-1961)

身体に入ってるタトゥーはもちろん

すべてGusによるものです。(手彫り!)

この写真は1900年代のものですが、

最近の写真再生技術はすごいですね。

そしてさらに娘のLovettaも

彫師であり、サーカスパフォーマーでした。

(母Maudの写真を持つLovetta、1993年)

驚いたのは彼女、彫師なのにタトゥーが

ひとつも見当たりません!

(Gus,Maud,Lovetta,タトゥーエリート一家です。)

前回でも書きましたが、

1890年代にSamuel O'Reillyによって

タトゥーマシンが開発され

主流になりましたが、

Gusは手彫りにこだわり続けていたそうです!

(Maudに手彫りをするGus)

”アメリカでもっとも多く芸術的なタトゥーを持つ男”

”世界を旅する刺青男”

”手彫りのワールドチャンピオン”

などなど数々の異名を持っていました。

そんな彼の最後は

なんと雷に打たれて亡くなったそうです。

最後までエキセントリック!

Tattoo flash by Gus Wagner




2016年4月27日水曜日

Samuel O'Reilly


今回は前回紹介した


の先生、

サミュエル・オライリーです。

Samuel O'Reilly(1854-1909)

ニューヨークでタトゥーを

初めたのが1880年代前半。

今から130年以上も前!

アメリカン・オールドスクールの

原点とも言えるお方です。

そんな彼も

若い時には強盗などの罪で

刑務所にも入っていました。

そして1891年、

トーマス・エジソンの発明した

自動印刷ペンを元に

ローターリー式のタトゥーマシンを開発、

アメリカで初めて

タトゥーマシンの特許を取得します!!!

(当時の設計図)

これにより飛躍的に技術が上がり

一躍有名になり、

サーカス団の人達や他のお客さんで

賑わっていたそうです。

最終的にはニューヨークで2つのお店を経営。

有名になったお店のほうは床屋の奥で

少し大きめのクローゼットほどだったそうです。

順風満帆な生活でしたが、

1909年、

自宅の外壁を塗装中、足場から落ちて

亡くなります。

彼の死後はチャーリー・ワグナーが

1953年までお店を続けました。

ここまで古いと

作品の写真が全然ありませんが、

少し見つけましたので

ご覧下さい!








2016年2月24日水曜日

Charlie Wagner


少し前のブログで

オールドスクールのアーティスト紹介の

まとめを載せましたが、

今回はその中でもさらに古いこの方。

Charlie Wagner(1875-1953)

チャーリー・ワグナーです。

アメリカンタトゥーの黄金時代を作った

1人であり、

ニューヨークのバワリー街で

1890年代から50年以上も

活躍し続けました。

そして最もタトゥーの世界に貢献した事は

現在使われているコイル式タトゥーマシンの

開発をした事です!

サミュエル・オライリーが1891年、

最初のタトゥーマシンの特許を取得します。

ワグナーはそれを改良し、

1904年、

現在の形となるタトゥーマシンの

特許を取得しました。

それから100年以上経っても

コイル式のタトゥーマシンは

変わっていません!

すばらしい!

さらに昔のアーティストは

あまり写真が残っていませんが、

ワグナーは珍しくありましたので

いくつか紹介したいと思います。

ワグナーのお店。

当時のニューヨークのタトゥーショップは

散髪屋さんといっしょにやっている事が

多かったそうです。

そしてワグナーの作品。

さらにワグナーとお客さん。

当時の写真を見て

オールドスクールの力強さや魅力が

少しでも伝わればと思います!!!