2015年8月11日火曜日

Roundup


今まで

アメリカン・オールドスクールのアーティストを

何名か載せてきましが、

今回は見てなかった方に

まとめてご紹介しようと思います!


BEN CORDAY(1875-1938)
ベン・コーディ

イギリス生まれ、

37歳の時にアメリカに移住、タトゥーを始める。

身体が大きい事でも有名でついたあだ名が

ビッグ・ベン。
タトゥーを彫り、フラッシュを沢山描き、

毎日大酒をむ毎日。
パーシー・ウォーターズにも原画を沢山

売ったそうです。



PERCY WATERS(1888-1952)
パーシー・ウォーターズ

サーカスを観に行った時にタトゥーと出会う。

最終的にはタトゥーショップを2軒、

タトゥーサプライも経営し、

ビジネスマンとしても成功します。

絵がかわいいのが特徴的です。




OWEN JENSEN(1891-1976)
オーウェン・ジェンセン

この方もサーカスでタトゥーと出会います。

巨漢でも有名だったタトゥーアーティストの

Dainty Dottyが奥さん。
Dainty Dotty

最後はロングビーチのパイク(遊園地)にあった

バート・グリムのお店の近くでリー・ロイと共に

働いていました。

パイクの治安が悪くなり、仕事中に強盗に襲われ、

その怪我が原因で亡くなります。



BERT GRIMM(1900-1985)
バート・グリム

16歳位から本格的にタトゥーを始める。

サーカス団に参加して腕を磨き、

最後はパイクにお店を出します。

Bob Shawに彫った全身のタトゥーが素晴らしい。
Bob Shaw

70歳の時、お店をボブ・ショウに売り、

田舎に移り住み、

病気になるまでタトゥーを彫り続けていたそうです。



PAUL ROGERS(1905-1990)
ポール・ロジャース

23歳からタトゥーを始め、

やっぱりサーカス団でキャリアを積み、

56年もの間、現役で活躍します。

未だに彼のモデルのタトゥーマシンは世界中で

使われています。
ストーニー曰く、

偉大なアーティストの1人で

皆に親切で伝統を尊重し、仲間を大切にする

とても謙虚な人だったそうです。

まさにオールド・スクールです。


LEE ROY MINUGH(1911-1994)
リー・ロイ・ミヌフ

13歳の時に家を飛び出し、

彼もサーカス団で腕を磨きます。

当時、カスタムタトゥーが殆どなかった時代に

フリーハンドでカスタムタトゥーをしていたそうです。

サイドショーの曲芸師キャプテン・ドンの

背中のタトゥーは彼によるものです。
Capt. Don Leslie

最後はパイクに移り、

オーウェン・ジェンセンと共に働いていました。



STONEY ST. CLAIR(1912-1980)
ストーニー

最後はレイの最も敬愛するストーニー。

幼少のころから車いすの生活で、

15歳からサーカスのサイドショーに

出演していましたが、

絵の才能を認められ、

16歳からサーカス団でタトゥーを始めます。

最終的にオハイオ州でお店をオープン。
力強い笑い声がとても印象的です。

身体のハンディをものともせず、

強く、そして人生を楽しんできた証拠です。

彼の彫るタトゥーには愛とパワーが

満ちあふれています!


今回紹介した方達は同じ時代を生き、

どこかで繋がり、お互いを尊敬し、刺激を受けながら

腕を磨いていたと思います。

黄金の時代です!

今後もまた偉大なアーティストを

紹介していきたいと思います!




2015年5月28日木曜日

Ben Corday


今回は今まで紹介してきた

アーティストとはちょっと違う、

異色の経歴を持つ

ベン・コーディです。
Ben Corday(1875-1938)

生まれは諸説ありますが、イギリス人なので

イギリスのランカシャーが有力とされています。

14歳の時に船乗りになり、

そのあと軍隊に入隊、

南アフリカの第二次ボーア戦争で戦った後、

軍隊を辞め、

1912年に市民権を得てアメリカに移住します。

アメリカに移住した後にタトゥーを

始めてるので、37歳。

当時としてはかなり遅咲きですね。

タトゥーだけでは無く、レスラーや俳優も

やっていたそうです。

彼は身体が大きいとゆう事でも有名でした。
かなりデカイですね。

ついたあだ名がビッグ・ベン。

そのままです。笑

資料によると身長2m、体重135kq

あったそうです。

彼は当時沢山のフラッシュを描いていたそうで、

あのパーシー・ウォーターズにも

原画を沢山売ったそうです。

また彼の有名な作品に、

若い女性に大胆にドラゴンを彫った写真があります。
この写真は当時、

複製されて無数のタトゥーショップに

飾られてました。

レイの敬愛するストーニーのお店にも

飾ってあり、

ストーニーはこの女性がベンの奥さんだと主張、

ベンと1930年代にサーカスで働き、

このドラゴンのタトゥーの完成を手伝ったと言っていました。

しかしタトゥーアーティストのライル・タートル曰く、

ストーニーはとても賞賛に値する人物でしたが、

また時にいい意味ででたらめな人とゆう事もあって、

この話は本当かどうかさだかではありません。

セイラー・ジェリーもこのドラゴンに

影響され、ドラゴンを描いたそうです。


ベンの作品は
繊細なラインで優しさのあるもの

でしたが、バート・グリムと出会ってから

力強いラインでよりシンプルな作品に

変わっていったそうです。


バートはベンについて、

彼は当時、

フラッシュを売り、そのお金で大酒を飲み、

また稼ぎ、お酒を飲むとゆうのを

繰り返していたそうです。


そして資金が尽きたころ、

ロサンゼルスに最後のお店をオープンします。

そして

1938年、自宅で睡眠中に亡くなりました。


皆さん、色んなところで繋がり、

影響し合っています。

お互いを尊敬しあってるからこそ出来る事ですね。

ベンもまたアメリカン・オールドスクールの基礎に

多大な影響を与えたアーティストの

1人です。








2015年4月13日月曜日

Capt. Don Leslie


アメリカンオールドスクールと

サーカスは切っても切れない関係にあります。

今まで紹介したタトゥーアーティストの方々も

始めはサーカスでタトゥーの腕を磨いています。

そのサーカスで

Mr. sideshowと呼ばれていた人が居ます。
Capt. don Lesile(1937-2007)

キャプテン. ドン・レスリーです。

彼はタトゥーアーティストではなく、

タトゥーを全身に見にまとい、

長ーい剣や炎を呑み込む

サイドショーの曲芸師です。

レイの敬愛するストーニーもまた

タトゥーアーティストになる前は

サーカスで剣を呑み込むショーを

していました。

彼は沢山のアーティストに彫ってもらってますが、

背中のRock Of Agesは
前々回紹介したリー・ロイによるものです!

彼は16歳で炎を、

18歳で剣を呑み込み始めます。

その他にも色んなものを呑み込んだり、

脱出や、割れたガラスのベッドで寝たりと

様々なショーをして観客を湧かせていました。

42年間もの間、

色んなサーカス団や海外にも出向き、

劇場などでもショーをしていました。
晩年のドン。

渋いです!!!

炎を呑み込む時に使ったガソリンが原因で

ガンになり

2007年6月7日、

70歳でサーカスとタトゥーの人生に

幕を閉じました。


最後は映像でお楽しみ下さい!


2015年3月11日水曜日

Paul Rogers


今回は言わずと知れた

ポール・ロジャースです。
Paul Rogers(1905-1990)

1905年、北カリフォルニア生まれ。

21歳の時に初めてタトゥーを入れ、

生涯の仕事にしようと決めます。

その2年後の1928年からタトゥーを初め、

56年もの間、プロのタトゥーアーティストとして

活躍します!

初めは友達や近所の人達に彫っていましたが、

やがてサーカス団に参加して彫るようになります。

皆さん初めはやっぱりサーカス団でキャリアを積むんですね。

その時に出会ったサーカス団のボスの娘、

ヘレンさんと結婚します。
1936年、奥さんを彫るポール。


1945年から5年間、キャップ・コールマンの

お店でも働き、

タトゥーマシンの製造や調整する方法を学びます。

1950年、コールマンのお店のあった

ノーフォーク市がタトゥー禁止となり、

自身のお店を2店舗出します。

その時に出会ったハック・スポルディングと

世界的に有名になったタトゥーサプライ、

『Spaulding and Rogers』を始めます!

1955年の事です。

でも実際にサプライで働いていたのは2年ほどだそうです...

そしてジャクソンビルに引っ越し、

小さなタトゥーマシンの工場を作ります。
その名もThe Iron Factory!

彼はすべての時間と情熱をタトゥーマシンに

費やしました。

この時に出来たのがあのポールロジャースモデル!
彼の飽くなき探求心によるマシンの進化で、

後のタトゥーの世界に多大な影響を与えた事は

言うまでもありません!


その彼も1988年、脳卒中で倒れ、

2年後療養所で亡くなりました。

84歳でした。


レイの最も尊敬するタトゥーアーティスト、

ストーニーは、

ポールについて

『最も偉大なタトゥーアーティストの1人で、

皆に親切で伝統を尊重し,仲間を大切にする

とても謙虚な人だ。』

と目を輝かせながら語っていたそうです。


まさにOld Schoolですね。









2015年2月4日水曜日

Lee Roy Minugh


ロングビーチのPIKE(アミューズメントエリア)

にあったタトゥーショップには沢山の素晴らしい

タトゥーアーティストが働いていました。

以前にも紹介した




の他にリー・ロイ・ミヌフがいます。
Lee Roy Minugh(1911-1994)

1911年、オクラホマ州・マスコギ生まれ。

1924年、13歳の時に家を飛び出し、

サーカス団とともに生活するようになります。

そこで指にクエスチョンマークのタトゥーを

初めて入れました。

その後、オーガスト”キャップ”コールマンと出会い、

本格的にタトゥーを始めます。

そしてロサンゼルスに初めて本屋の奥でお店を開きます。

カスタムタトゥーをしていたアーティストが

殆ど居ない時代に

フリーハンドでカスタムタトゥーをしていたので

段々と有名になっていきます。

そしてパイクに移転!

そこでオーウェン・ジェンセンと共に働きました。

1962年、当時とても有名だったTV番組
『The Steve Allen Show』に出演し、

司会者のスティーブ・アレンに番組でドットの

タトゥーを彫りました。

これがきっかけで一気に有名に。


このようにパイクはタトゥーでも世界的に

有名な場所でした。

これだけ素晴らしいタトゥーアーティストが集まれば

話題にもなりますよね。

当時のパイクに行ってみたいものです。










2015年1月27日火曜日

BERT GRIMM


前回のOwen Jensenに続き、

今回は、
バート・グリム(1900-1985)

オレゴン州ポートランド生まれ。

11,2歳の頃にはタトゥーショップに出入り

するようになり、道具一式を与えられます。

1916年には本格的にタトゥーを初め、

最初の頃はBuffalo Bill Wild West showに参加して

各地をまわっていました。

その後、シカゴ、ホノルル、ソルトレークシティ、

ラスベガス、シアトル、ロサンゼルス、ロングビーチ、

セントルイス、ポートランド、オレゴン、中国と

沢山のお店を管理、運営していました。

1952年、ロングビーチに移り、

アメリカで最も長く古くから営業していたとされ、

有名になったお店を開きます。
このお店には去年のブログでも紹介した

ボブ・ショウも働いていました。

彼の身体は全部バート・グリムによるものです!

完璧!

晩年のボブ・ショウ

いくつになってもアメリカン・トラディショナルは

かっこいい、さらに味が出てます!


1970年、ロングビーチの店をボブ・ショウに売り、

引退し,オレゴン州の海辺の小さな街に

移りますが退屈になり、彼の家に小さなタトゥーショップを

開きます。

そして77年、病気になるまで1週間に10個ほど

タトゥーを彫っていたそうです。




2015年1月14日水曜日

OWEN JENSEN


今回はこの方を紹介したいと思います。
オーウェン・ジェンセン(1891-1976)

1891年、ユタ州プレザント グローブ生まれ。

1911年、20歳の時に

Buffalo Bill Wild West Showを観に行き、

初めてタトゥーを入れた人を見ます。

その2年後、Lucky Bill Showで初めてタトゥーを入れる事に。

若い頃、鉄道関係の仕事をしていた事もあり、

機械には精通していたため、

タトゥーマシンを作るお店でパートタイムとして

働き始め、その流れでタトゥーアーティストとなりました。

その後、第一次世界大戦が始まり、

ミシガン州グランドラピッツの近くに配属されます。

その時にエドウィン・ブラウンに出会い、

週末は彼と過ごし、タトゥーフラッシュの描き方などを

教わりました。

そして一旦故郷に戻り、

1923年、色々なショーや各地を周り、

最終的にロサンゼルスでその当時有名だった

チャーリー・バーと働きますが、

1929年、ビジネスがうまくいかず離れる事になり、

ロングビーチに移動、

1931年にはハワイのホノルルに居た事もあります。

そして1934年、ロサンゼルスに戻り、

タトゥーマシンとフラッシュを販売する仕事を始めます。
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Owen Jensen Tattoo Flash


1938年、ニューヨークに移動し、お店を開きますが、

数ヶ月でお店を売り、またロサンゼルスに戻り、

メインストリートでお店を開店。

1940年はサンディエゴに移動、

またロサンゼルスに戻ります。笑


1945年、タトゥーアーティストでもあり、

“Fat Lady"としてサーカスにも出ていた

Dainty Dottyと結婚します。
デェインティー・ドッティー(1909-1952)

当時、265kgもあったそうです。



1949年には子供も産まれ、

158kgまで体重を落としますが、

1952年、心臓発作により43歳の若さで

亡くなります。


最後はロングビーチのパイク(アミューズメント エリア)

にあるバートグリムのお店の

すぐ近くでリーロイと共に働いていましたが、

1972年をピークにパイクの人気も下がり始め、

段々と治安が悪くなってきます。

そして1976年、7月5日。

若いパンクスがお店に押し入り、

オーウェンの首をつかみ、

ナイフを彼の背中に刺し、

30ドルを奪って逃げました。

そして彼はその怪我が原因で復帰する事無く

亡くなってしまいます。

Owen&Dainty